公園を1周していると、今年はよくカマキリを目にする。
大型のカマキリがジッとこちらをにらんでる。
別の場所では、止まっているカマキリを指で触れようとすると、すばやく前脚をひっこめて「やめてよ」のポーズ。あるいは威嚇のための前段階か?
こちらは茶色のカマキリ。
毎日カマキリを見ているうちに、カマキリには緑色もあれば茶色もあることに気がついた。
これはどうしてだろう?
調べてみたら、たとえばオオカマキリは最初から緑色と茶色が5対5の割合で生まれるんだとか。同じ卵塊から出た個体でも、育成環境を変えても、出現率はほぼ半々で変わらないという。とすると人間の男と女が半々に生まれるような遺伝的な仕組みがあるのだろうか。
一方で、枯草の多い場所の個体には茶色が多く、緑の多い場所では緑色が多いと報告する人もいて、結局のところカマキリの色については諸説あり、決定的な色が決まる条件というのは解明されていない、というのが現状のようだ。
それで思い出したのはアゲハの擬態について研究している人の話だ。
カマキリに緑色と茶色があるように、アゲハのサナギにも緑色のサナギと茶色のサナギがある。アゲハはサナギになると羽化するまでの期間をジッと動かないでいる。このため天敵から逃れるため太い幹や枯れた枝の茶色とか葉っぱの緑色に擬態しているという。
では、どうやって色を変えているのかというと、カメレオンのように視覚情報が脳に伝わって色を変えているのとは違って、アゲハの幼虫は「目」ではなく「脚」を使ってサナギの色を決めているのだという。
食草である柑橘系のツルツルした葉っぱの上を這っている幼虫は、ツルツルする刺激に反応して緑色になり、幹などザラザラ・ゴツゴツしたところを幼虫が這っていってサナギになったものは、ザラザラ・ゴツゴツの刺激に反応して茶色になるのではないかといわれている。
ただし、カマキリの場合は幼虫→サナギ→成虫という完全変態ではなく、幼虫が脱皮を繰り返して成虫になっていく不完全変態だから、アゲハのようにはいかない。
生まれる段階ですでに緑と茶が半々というオオカマキリの場合は、親がツルツルかザラザラかで子どもの色を決めているわけではないのだろう。半々に産むことで全滅するのを避けて、生き延びるチャンスを少しでも多くしようとしているのだろうか?
ところで先日の本ブログで、カマキリの眼はドーム状の複眼になっていて、ほぼ360度を見渡せるという特徴がある。どこから見ても黒い点があり、その黒い点のような眼でいつもこっちをにらみつけている、というようなことを書いたが、実はこの黒い点は「黒い瞳」とは真っ赤な偽り。ニセの瞳孔、「偽瞳孔」なんだそうだ。
なぜ偽瞳孔があるのかといえば、複眼の構造に関係がある。
数万個の個眼が集まっでできているのがカマキリの複眼。1個1個の個眼は六角形をしていて、直径およそ0・05㎜の極細の筒が束ねられたようになっている。このカマキリの眼を近づいて見てみると、角度によって一部の筒だけは奥まで見通すことができ、そこに光が入っていくと光が返って来ない、つまり光の反射がなくてそこだけ黒く見えて、まるで「黒い瞳」のように見えるというわけだ。
そもそも瞳孔というのは、2つしかない人間の眼のような場合に機能するものであり、光は瞳孔から入って網膜に達するが、光の強さによって大きさが変わり、眼内に入る光の量を調節して網膜に鮮明な像を結ばせ、それによってものが「見える」ようになる。
複眼で見るカマキリには人間のような瞳孔は必要がないわけだが、ニセの瞳孔によってカマキリがこっちをにらんでいるような気にさせるという点では、相手をだますカマキリの戦略なのかもしれない。
ちなみに、トンボなどほかの複眼の昆虫でもやはりニセの瞳孔があるらしい。
イトトンボの偽瞳孔は?青い点がそうだろうか。