善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

ハンパない臨場感 1917 命をかけた伝令

T・ジョイ大泉で「1917 命をかけた伝令」を観る。

2019年製作のイギリス・アメリカ合作の戦争映画。

原題は「1917」

監督はサム・メンデス、撮影は「ブレードランナー 2049」でも撮影を担当しアカデミー賞撮影賞を受賞したロジャー・ディーキンス

本作は今年のアカデミー賞で作品賞、監督賞を含む10部門でノミネートされ、撮影賞、録音賞、視覚効果賞を受賞した。

 

第1次世界大戦が始まってから、およそ3年が経過した1917年4月のフランス東部。

この年、ロシアではレーニン率いるボリシェヴィキによる革命が起き、日本は翌年シベリア出兵と米騒動

第一次大戦でドイツ軍とロシア軍が対峙するのがドイツの東側というので東部戦線と呼ぶのに対して、フランス・イギリスなどの連合軍がドイツ軍と対峙するのが西部戦線

その西部戦線で連合軍が次なる攻勢を準備していたところ、ドイツ軍は突如として撤退を開始した。後退するドイツ軍を一挙に攻めて壊滅させようと、4月7日早朝を期しての追撃開始が決定されていた。

ところが、撤退というのはドイツ軍の策略であり、わざとそのように見せかけて、より強固な防衛戦として占領下のフランス領内に構築したヒンデンブルグ線まで連合軍を誘引し、返り討ちにしようとねらっていたのだった。

その事実を航空偵察によって察知したイギリス軍は、突撃を準備している前線部隊に攻撃中止を伝えようとする。ところが、情報を伝えるための電話線がドイツ軍のためにすべて切られてしまっていて伝えることができない。

このまま攻撃を開始すれば、その先には要塞化されたドイツ軍の陣地と大規模な砲兵隊が待ち構えていて、1600人の部隊は壊滅的被害を受ける。そこで、若い2人のイギリス軍兵士、スコフィールド上等兵(ジョージ・マッケイ)とブレイク上等兵(ディーン=チャールズ・チャップマン)が伝令に選ばれる。将軍から渡された攻撃中止の命令書を懐に2人はただちに出発する。残された時間は8時間──。

 

この話はフィクションだが、ドイツ軍がヒンデンブルグ線まで連合軍を誘引しようとはかったのは事実。ちなみに第一次世界大戦で構築されたヒンデンブルグ線は第二次世界大戦でも西方攻撃の拠点として使われたという(ドイツ軍はジークフリート線と呼んでいる)。

監督のサム・メンデスの祖父は第一次世界大戦で伝令として従軍していて、祖父から聞いた話を元に脚本を書いたという。

前線に急行する伝令兵2人が体験する1日の出来事を、ワンシーン・ワンカットと錯覚するばかりの臨場表現を駆使して、まるで伝令兵と一緒に走っているような感覚にさせ、ぐいぐいと物語の中に引き込んでいく。最後まで途切れることのない臨場感と緊張感がハンパなかった。

 

第一次世界大戦西部戦線塹壕戦ともいわれる。

その塹壕線の悲惨さを描いたのがドイツのレマルクの小説を映画化した「西部戦線異常なし」だった。

あの映画の最後のシーンを今も思い出す。

晴れた日の戦場。あたりは静かで、まるで戦争なんてないような平和な感じ。チョウが1羽、ヒラヒラ飛んできて止まる。若いドイツ軍兵士が塹壕からそっと手を差し出す。するとダーン!と敵の狙撃兵が放った弾丸が彼の命を奪う。

 

塹壕の中から飛び出て、とにかく走り続けるのが本作だったが、暗い地下の部屋で、まるで聖母子との出会いのようなシーンがあったり、花畑の中を進んで行ったり、森の中で出撃を前に1人の兵士が歌う歌を兵士たちが聞き入っていたり、どこか宗教的なイコンが散りばめられている感じも。

ちなみに歌われていたのは「I Am a Poor Wayfaring Stranger(私は貧しい旅人)」というアメリカの古い歌。「私は貧しい彷徨える人、父や母が待っている病気や苦役や危険のない明るく輝いた世界に向かって、ヨルダンを越えて家も捨てて行くよ」というような意味で、開拓者たちの間で歌われたという。

また、深夜の廃墟が照明弾に照らされるシーンなんかは幻想的ですらあった。