善福寺公園では、彼岸の中日(9月23日)をすぎて、25日になってようやくヒガンバナの一斉開花が始まった。 明日26日は彼岸明けだから何とか間にあったか。
ヒガンバナの開花の遅れは全国的な現象のようで、気象庁が観測している全国18カ所のうち、14カ所で平年より開花が遅れているとか。
それにしてもヒガンバナは不思議な花だ。
いつのまにか地中から茎が伸びてきて花が咲く。やがて花が枯れて消えてしまうと、それを待ってたかのように葉が伸びてくる。その葉も、翌年の夏近くなると消えてしまう。
花が咲いているときには葉はなく、葉のあるときには花はない、というので、韓国では「花は葉を思い、葉は花を思う」という意味から「相思華」と呼ぶそうだ。
何でこうなるかというと、ヒガンバナは球根性植物であり、繁殖は地下茎で行われるからだ。だからヒガンバナは花は咲いても実がならない。
実がならないのになぜ花を咲かせ、雄しべ・雌しべをつけ、蜜を出すのか?
これも不思議だ。
中国からいつごろ伝わったかについては諸説あり、縄文から弥生時代にかけて稲作とともに伝えられたとの説や、球根が海流に乗って流れ着いたとの説もあるらしい。
文献としては「万葉集」の柿本人麻呂が詠んだ歌に「イチシ(壹師)」と呼ばれる植物が登場していて、ヒガンバナのことではないかとの説がある(この説を唱えたのは植物学者の牧野富太郎)が、確証はない(ヒガンバナをイチシバナと呼ぶ方言が今も九州や中国地方に残っているという)。
ちなみに「万葉集」の歌とは巻11-2480の、
路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀嬬
(道の辺の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻は)
歌の意味は「道端で目立つように咲くヒガンバナのように、人がみんな気づいてしまった、私の恋する妻のことを」ということだろうか。
「いちしろく」とは白色をさすのではなく「著しい」とか「明白な」という意味だそうだ。
しかし、中国に自生するもともとのヒガンバナは二倍体といって結実、つまり実をつける種類なのに対して、はるか昔、日本に伝わったヒガンバナはなぜか三倍体で不実、つまり実をつけない種類だったといわれる。この三倍体のヒガンバナは、二倍体のヒガンバナの染色体突然変異で生まれたと考えられている。
通常、生物が繁殖するには雄と雌から1組ずつ染色体をもらい、新たに染色体は2組となるが、その後、減数分裂を行うことで1組だけの生殖細胞がつくられ子孫に伝えられていく。三倍体だと減数分裂ができず、不実(不稔)性つまり受精ができない状態になり、子ども(種)をつくることができない。
それでも二倍体の名残からか、三倍体となったヒガンバナも花は咲くし雄しべ、雌しべもつけて蜜も出す。蜜の匂いにひかれて虫たちがやってきても、受粉媒介の目的は果たせないのに何て無駄なことをするんだろうと思ったら、生態学者で登山家でもあった今西錦司は「曼珠沙華」という随想の中で次のように述べているという。
「生物は、つねに余裕をもった生活をしている。そしてその余裕を惜しげもなく利用したいものに利用さしている」
朝日新聞の連載「折々のことば」(18日付)でこの言葉を紹介した鷲田清一は「ヒガンバナは・・・昆虫に受粉を助けてもらう必要がないのに、立派な花を咲かせ、そこを訪れる蝶に花蜜を差し出す。植物はさまざまな動物に食われ放題。人のように「我利我利亡者」ではなく、「のびのびと」動物たちを養っていると生態学者は言う」と書いている。
ヒガンバナの花の蜜を好んで吸いにくるのはなぜかアゲハチョウのみだという。
どうしてかというと、アゲハチョウは赤い色を識別できるチョウだから、との説があるらしい。
さらについでにいうと、日本にやってきた三倍体のヒガンバナはすべて遺伝子が同一だという。実をつけないので株分けで増やさざるを得ず、それで同じ遺伝子のヒガンバナが広まったといわれる。
彼岸のころの同じ時期に一斉に咲くのもそれが理由なのだろう。
実をつけない植物で、すべて同じ遺伝子を持つ植物はヒガンバナのほかにもいろいろあって、ソメイヨシノもその1例という。
ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラの交配で誕生したとされるが、すべて同一の遺伝子を持ち、しかも自家不和合性を持つため花粉による受精はならず、実をつけることもできない。だからソメイヨシノのサクランボはない。
そういえばソメイヨシノも気象条件が同じ時期に一斉に咲く。
ヒガンバナというと真っ赤な色が特徴でその赤さゆえに曼珠沙華とも呼ばれるが、最近よく目にするのは白い色のヒガンバナ。
シロバナヒガンバナとかシロバナマンジュシャゲとか呼ばれる。
牧野富太郎は、シロバナヒガンバナはヒガンバナとショウキズイセンの自然交配によって生まれた、との説を唱えたが、ヒガンバナが三倍体であるならこれは間違い。
正しくはコヒガンバナとショウキズイセンの交配によるものではないか、といわれている。
本家の二倍体のヒガンバナに比べて日本の三倍体のヒガンバナのほうが花や葉が大きいのが特徴で、このため本家のほうはコヒガンバナと呼ばれる。
ひょっとしたら、日本にヒガンバナがもたらされた際、大きい花と小さい花とを見比べ、「大きい花の方が見栄えがいい」と持って帰ったのが不実のヒガンバナだったのかもしれない。
しかし、生殖能力を持つのはコヒガンバナであり、それで誕生したのがシロバナヒガンバナというわけで、小さいことはいいことだ?