善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

伊藤若冲と桔梗求めて1日京散歩

きのうは大阪を朝9時前に出て京都へ。
大阪、京都の電車は東京のスイカsuica)が使えるので便利。コンビニでも使えた。

京都駅からバスで東山二条で下車。
(バスはスイカは使えない)
京都のバスは「○○行き」と行き先の停留所名を言うより、系統番号を言うことが多いようで、乗ったバスは206だった。
(あとで調べたら206系統は循環バスなので行き先名はもともとないようだった)

東山二条のバス停から数分のところにあるのが「細見美術館」。
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実業家で日本美術コレクターの細見古香庵氏(1901−79)に始まる細見家3代の蒐集品を元に1998年に開館した美術館。伊藤若冲にかけては国内有数のコレクションを誇っているそうで、今開催中の「生誕300年記念 伊藤若冲─京に生きた画家─」展も同美術館所蔵の作品が多く並べられていた。

「雪中雄鶏図」「花鳥図押絵貼屏風」「糸瓜群虫図」「海老図」「鯉図」「髑髏図」それに「鼠婚礼図」などなど、いずれも見応えのある作品を堪能した。

若冲といえば奇想の画家として知られるが、意外とまじめな作品も多い。しかし、6曲1双の「花鳥図押絵貼屏風」に描かれたニワトリは「こんなポーズありなの?」と目を疑うような実に独創的なニワトリが描かれていたりして、しかもその描写が細かい。

「鼠婚礼図」の愛らしくもほほえましいネズミの姿も印象に残った。

伊藤若冲は江戸時代中頃の正徳6年(1716)に京都・錦小路高倉にあった青物問屋「枡屋」の長男として生まれた。父の死に伴い家督を継ぐが、40歳を機に弟に家督を譲り、絵画制作に没頭する。
彼の描く絵は評判となり、絵1枚が米1斗(銀6匁)で売れたという。
当時すでに池大雅円山応挙に次ぐぐらいの人気があり、与謝蕪村より格が上だったとかいう。

画業を専門にしはじめた40歳ごろの作品も展示されていたが、すでに完成の域に達していた感じで、その後に独創性をさらに磨いていったのだろう。寛政12年(1800)に85歳で亡くなるまで絵画三昧の人生を送ったという。

細見美術館近くのそば・うどん屋で昼食。
一番絞りの「京都づくり」と、天ぷらうどん+サバ鮨のセット。
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午後は地下鉄とJR線を乗り継いで花園にある妙心寺へ。
朝、京都駅で案内所に立ち寄った際、今は桔梗の花が見ごろで、そのひとつとして紹介されていたのが妙心寺の退蔵院だった。
花園駅で降りたとき、ホームのエスカレーターのアナウンスが東京とは違っていた。
東京だと「危険ですので・・・」といっているところが、京都では「あぶのうございますから・・・」といっていた。
京都人の奥ゆかしさを感じた一瞬。

駅から10分ほどのところにある妙心寺は、その広さといったらハンパない。
臨済宗のお寺だそうで、日本にある臨済宗寺院約6,000か寺のうち約3,500か寺を占める妙心寺派の総本山。いくつもの寺院が敷地内にあり、お寺だけの1つの町をつくっている感じだ。

桔梗が見ごろというのが敷地内にある退蔵院というお寺。
紅しだれ桜や、国宝の「瓢鮎図(ひょうねんず)」で知られる寺だ。
瓢鮎図」は山水画の始祖といわれている如拙による日本最古の水墨画といわれるもの。
農夫が瓢箪でナマズを捕らえようとしている。
この如拙の絵の上に、「ただでさえ捕まえにくいなまずを瓢箪でどうやって捕まえるか?」という禅の公案(問題)に対する京都五山の禅僧31人の答えが自書されている。
「瓢箪鯰」のことわざの語源となった作品という。ただし展示されているのはレプリカ。
拝観料は500円也。
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雨上がりの感じで境内は静か。
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いろんなアジサイが咲いていた。
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蓮も美しい。
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池泉回遊式庭園「余香苑(よこうえん)」はまるで別天地にいる気分にさせてくれる。
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で、お目当ての桔梗は?というと、枯山水の庭(陰陽の庭)にたったこれだけ咲いていた。
枯山水に桔梗もいいけど、これだけじゃー・・・、とガックリ。
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しかし、桔梗の見どころとして京都駅の案内所でのメモにはもう1カ所、蘆山寺(ろざんじ)というお寺があった。
よし、そこへ行ってみようということになったが、妙心寺は西の花園。蘆山寺は京都御苑の東側の寺町通りにあり、午前中行った細見美術館の比較的近く。東から西にきて、また東に戻らなくてはいけない。
何とも行き当たりばったりの旅。

ここはゼイタクしてタクシーで蘆山寺へ。
「桔梗見頃」と看板が出ている。
しかも石碑には「紫式部邸宅址」とある。
なるほど、それで紫の花を咲かせる桔梗なのか、とナットク。
ここも拝観料500円也。
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「源氏庭」と呼ばれる庭に出てみると、たしかに桔梗が庭いっぱいに咲いている。
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ただし、庭は南に面していて、桔梗の花の多くは太陽を求めて南を向いている。このため、北からながめると(庭の中への立ち入りは禁止で、北側の廊下からしかながめられない)桔梗はみんなアッチ向いてしまっている。そのあたりがチョット残念。
白い桔梗も咲いていた。
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蘆山寺は天台系のお寺で、もともと京の北の方にあったが、戦国時代のころの天正元年(1573)にこの場所に移ったという。
ここが元々は紫式部の家だったとわかったのは昭和40年(1965)のことで、考古・歴史学者の角田文衞により紫式部邸跡とされたという。
それで庭に植えられたのが桔梗だったのだろう。

蘆山寺で桔梗をながめたあとは寺町通りを一路南下。
オシャレな店や歴史のある店がいろいろあり歩いていて楽しい。
途中、本能寺を通過。
30分ほど歩いて錦小路へ。
伊藤若冲が生まれ育った場所だ。しかし、彼の生家である「枡屋」は今はもうないらしい。

夕方、新幹線で東京へ。
ホームで買った生ビールを飲みながら、駅ビルの伊勢丹で買った弁当を広げる。これもちょっぴりゼイタク。
楽しい1日だったな!
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本日の歩数、1万7214歩。