善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

菱田春草展の「落葉」

金曜日は午後、竹橋にある東京国立近代美術館で開催中の「菱田春草展」に行く(会期は11月3日まで)。
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前から「落葉」(「おちば」と読む。重要文化財永青文庫蔵)を見たくて見たくて、ようやく実現した。

菱田春草は明治期に活躍した日本画家。岡倉天心の影響のもと、横山大観、下村観山らとともに「朦朧体」と揶揄される実験的画法に取り組み、日本画の革新に貢献した人。
長谷川等伯の「松林図」が中・近世日本画の最高傑作であるなら、春草の「落葉」は近・現代日本画の最高傑作といっていい。

将来を期待されながら、37歳の若さで病死。今年は生誕140年というので開催された本展には、100点を超える作品が並んでいる。

どの作品もすばらしい。
重文に指定されている「王昭君」「賢首菩薩」もよかったが(やはり重文の「黒き猫」は15日からなので未見)、「寒林」「武蔵野」「菊慈童」「紫陽花」「山路(雨)」「松籟」「夕の森」「風」「荒磯」「林和靖」などの作品も心に残った。

しかし、何といっても「落葉」である。それも、同じ題の作品は何点かあったが、永青文庫蔵の作品がやはりすばらしい。
代々木(あるいは戸山ケ原)あたりの風景(もちろん明治の)という。ちょうど立っている目の位置あたりから俯瞰していて、描かれているのは木の根元のほうだ。もやのような中に木立が並び、もやの中に吸い込まれていくような気分になる。

等伯は、後継者となるはずだった息子が26歳の若さで亡くなったのち、失意の中にいるときに「松林図」を描いたといわれる。
春草は、病気が悪化し視力が衰える中で、亡くなる2年前に「落葉」を描いた。
失望はときとして人を突き動かす何かの力をもっているのだろうか。

「落葉」を見た翌日の朝、いつも散歩している善福寺公園を歩いていると、目の前の風景がまさに春草描くところの「落葉」の絵そのものだった。
春草はありふれた風景を描いているのだが、歩いているこの私は、まるで絵の中にいるような感じがした。春草がめざした「空気を描く」とは、「生きている自分を描く」ということなのではないか、と思った。