善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

八代目正蔵戦中日記

『八代目正蔵戦中日記』(青蛙房)を読む。

八代目林家正蔵(晩年に彦六と改名)が1942年12月から45年8月末まで書き綴った日記。
真珠湾攻撃が1941年12月のことだから、その翌年から終戦までの記録。
よくも克明に日記をつけていたと思うが、本になったのはそのすべてではなく、寄席や町の様子、落語への思いがうかがえるところを中心に編纂されたという。

林家正蔵というと、ワタシ的には気難しそうなオジイサンのイメージしかないが(むろん落語は一級品、好きな落語家の一人)、昔はやっぱり若かった(当たり前)。

正蔵(当時は五代目蝶花楼馬楽)46歳から50歳のときの日記。
晩年も「とんがり」といわれるほど曲がったことが大嫌い、反骨精神が旺盛だったが、若いときもけっこう喧嘩っぱやくて、あちこちでカッとなっては喧嘩して、そのたびに反省している。

自警団の活動とか、長屋中の便所の汲み取りまでやったりして、戦時下の庶民の暮らしぶりがよくわかる。

戦時中でも東京のあちこちに寄席があり、落語は人気だったようだ。
ただし、さすがに終戦も間近になると落語どころではなかったようだが、慰問で全国各地に回ったりもしている。落語は人々の癒しになっていたのだろう。

昭和20年3月20日の項にこんな記述がある。
「湯に這入った。調髪もした。文楽さんの宅で分けていただいたブドー酒にも酔った。煙草も喫った。久しぶりで人間世界のぜいたくを全部つくした」
あの時代の贅沢は実に質素だったようだ。

終戦の日の8月15日、ラジオで玉音放送を聞いたあとの感慨。
「頭の重く痛く悪夢より覚めたる如し」

正蔵が亡くなったのは昭和57年(1982年)。今年は33回忌。