善福寺公園めぐり

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タワーの文化史

河村英和『タワーの文化史』(丸善出版)を読む。

古来、人類は、より天高く人工物を築き上げることを夢みて試行錯誤を繰り返してきたという。その結果、古代のピラミッドから中世のゴシック聖堂の尖塔、近代のエッフェル塔、そして現代の東京スカイツリーや超々高層ビル(ハイパービルディング)に至るまで、古今東西さまざまな用途や形を持った多種多様な建物(タワー)が建てられてきた。
そのように人類がタワーによって天空の高みをめざしてきた歴史を、当時の絵はがきをはじめ多数の図版を掲載しながら紹介しているのが本書。

そもそも英語の「タワー(tower)」の語源はラテン語の「高い構造物(turris)」からきているという。
それが各国語で浸透していったのは中世のころで、このころにはすでに城砦の見張り塔、教会の鐘楼、塔の家(タワーハウス)といったタワー(塔)が各地でつくられている。

しかし、タワーとしてもっともプリミティブな存在は、タワーなんて言葉のない先史時代にあり、建築以前のものとして、1本の立石(スタンディング・ストーン)こそがもともとのタワーの形であった。
その代表がイギリスにあるストーンヘンジであり、環状に配置されるストーンサークルとなっていて、太陽崇拝のあらわれとみられている。
むろん、ストーンヘンジないしはストーンサークルはイギリスだけじゃなく世界中にあり、日本でも各地に同様の遺跡が残っている。

日本には、石ではなく木のタワーもあって、有名なのは諏訪大社御柱(おんばしら)だろう。

そういえばラテン語のturrisは英語の木を意味するtreeに似ている。木は太陽の恵みを受けてそびえ立ち、豊穣、生命力、生産力の象徴でもあっただろう。

つまり、高く天空をめざすタワーは古代信仰と深くかかわっていて、その後も信仰とタワーは不可分に結びついてきた。したがって、キリスト教や仏教、イスラム教などその後の宗教も太陽信仰との習合がその考え方の中にあるのかもしれない。

たとえば、エジプトのピラミッド、オベリクス(モニュメントであるとともに太陽信仰の象徴の1つ。花崗岩を一枚岩で切り出して建てられた、いわば岩の塊でつくられていて、高いもので高さ30mを超えるものも)はキリスト教以前だが、キリスト教の鐘楼、イスラム教のミナレット(モスクに付設される塔)、仏教のストゥーパ仏舎利つまり釈迦の遺骨をおさめた塔)、五重塔(起源はストゥーパ)、いずれも宗教的な意味合いがある。

と同時に、宗教はときの権力とも密接に関係していたから、権力誇示の形としてのタワーへと変貌をとげてもいった。

その点で本書でも取り上げられていておもしろかったのが、中世イタリアのサン・ジャミニャーノやボローニャのまるで摩天楼のように塔が林立する風景だ。
サン・ジャミニャーノは今も塔の街として知られるそうだが、もともと街の防衛のための塔が建設されていて、13世紀に入って貴族たちが自分の力の象徴としての塔建設を次々と行った。50mを超えるのも含む72もの塔が街の中に建てられ、まるで高層ビル群のような景観を呈していたという(今は10いくつぐらいに減っているらしいが)。
ボローニャも負けていなくて、貴族や金持ちたちは競って塔を建て、市の中心部はおよそ180もの塔で埋めつくされていたとか。本書には20世紀初頭のころの絵はがきの写真が載っているが、なかなか壮観だ。

ミナレットもいろんな形があり、中でもイラクのサーマッラーにある「マルウィア・ミナレット」(高さ52m、852年)は、まるでブリューゲルが描いたバベルの塔のような螺旋状のミナレットだ。
というよりむしろ、ブリューゲルのほうが、マルウィア・ミナレットを真似てバベルの塔を描いたといわれているらしいが。

礼拝の時を告げるのがミナレットの役割。ということは、告知の係の人は、1日5回、この螺旋状の階段を50mの高さまで登っていたのだろう。

ちなみに、沖縄・本部町の美(ちゅ)ら海水族館近くにある沖縄熱帯ドリームセンターの展望塔はマルウィア・ミナレットにとてもよく似た形をしているのだとか。

なるほど、とうなったのがアメリカのコニーアイランド遊園地にある五重塔付きティールーム。日本の五重塔そっくりの建物が高くそびえていて、入口には「AIR SHIP(飛行船)」とある。
写真を見ると、五重塔の屋根は天空に向かって反り返っていて、まるで羽を広げて大空に飛び立つように見える。西洋人は空に向かう飛行船と見たのだろうか。
人の見方はおもしろい。