善福寺公園めぐり

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千田稔 地名の巨人・吉田東伍

千田稔『地名の巨人 吉田東伍-大日本地名辞書の誕生-』(角川書店)を読む。

著者は歴史地理学の第一人者。平成15年に出版された古い本。
何で今ごろ読む気になったかというと、最近読んだ渡辺保の『明治演劇史』にこの本が紹介されていた。

吉田東伍といえば日本の歴史地理学の大先達。
20年ほど前、地名に興味を持って図書館(主に有栖川宮公園にある都立中央図書館)に通った時期があり、そこでよく手に取ったのが吉田東伍の『大日本地名辞典』だった。明治40年冨山房より出版され、全8巻。

地名辞典はほかにも、『角川日本地名大辞典』とか、平凡社から『日本歴史地名大系』なども出ているが、読んでもおもしろいのが吉田東伍の地名辞典だった。

当時、ほかに辞典でおもしろかったのが小学館の『日本国語大辞典』で、地名を調べるのにも役立った。
できることなら、図書館に行かなくとも『大日本地名辞典』と『日本国語大辞典』を自分の蔵書にしたいくらいに思ったが、そんなのとてもムリとあきらめた。
(その後、『日本国語大辞典』は第2版が出版され、とうとう購入してしまったが)

その吉田東伍がまるで畑違いと思われる『明治演劇史』に登場していた。
実は吉田東伍は、明治のころは幻とされていた能の世阿弥を初めて世に知らしめた、いわば世阿弥の“発見者”だった。

彼は別段、能が趣味でも、能に詳しいわけでもなかったようだが、歴史に関しては卓越した知識と経験を持っていたから、あるとき、能の歴史的研究に興味を抱き、古書をひもといているうちに世阿弥能楽論書を手に取り、これはおもしろいと校注したのが『風姿花伝』(いわゆる「花伝書」)などの『世阿弥十六部集』で、能楽研究の第一級資料として現在でも高く評価されている。

もちろん、吉田東伍の本業は歴史地名の探究であり、当時、日本にはまだ統一した地誌がないことに気づいた彼は、13年の歳月をかけて、独力で『大日本地名辞書』を完成させた。
文字数1200万字、辞書に引かれた項目は4万を超え、原稿の厚さは5メートルというから大変なものだ。
全巻が完成したとき、吉田東伍43歳。

きっと天賦の才があったのだろう。「学校は分かりきったことしか教えてくれない」と13歳で学校を中退するも、19歳のとき教員試験に合格して小学校教員となり、21歳のときには1年間志願兵となる。28歳で読売新聞に入社し、次々と評論を発表している。

博覧強記で、本を読むのが好きだったらしく、『大日本地名辞書』を完成させたあとは朝鮮半島に興味を持ち(もちろん関心は以前からあり論文も出している)、朝鮮に関する文献を書斎の本棚にぎっしり並べ、数千冊にも及んだという。

しかし、1918年(大正7)1月22日、利根川の河口を見渡せる千葉県銚子の旅館に1人泊まり、前夜2合の酒を飲み、翌朝、亡くなっていたという。享年53。

昔は“豪傑”が多かった。