千田稔『地名の巨人 吉田東伍-大日本地名辞書の誕生-』(角川書店)を読む。
吉田東伍といえば日本の歴史地理学の大先達。
20年ほど前、地名に興味を持って図書館(主に有栖川宮公園にある都立中央図書館)に通った時期があり、そこでよく手に取ったのが吉田東伍の『大日本地名辞典』だった。明治40年に冨山房より出版され、全8巻。
20年ほど前、地名に興味を持って図書館(主に有栖川宮公園にある都立中央図書館)に通った時期があり、そこでよく手に取ったのが吉田東伍の『大日本地名辞典』だった。明治40年に冨山房より出版され、全8巻。
当時、ほかに辞典でおもしろかったのが小学館の『日本国語大辞典』で、地名を調べるのにも役立った。
できることなら、図書館に行かなくとも『大日本地名辞典』と『日本国語大辞典』を自分の蔵書にしたいくらいに思ったが、そんなのとてもムリとあきらめた。
(その後、『日本国語大辞典』は第2版が出版され、とうとう購入してしまったが)
できることなら、図書館に行かなくとも『大日本地名辞典』と『日本国語大辞典』を自分の蔵書にしたいくらいに思ったが、そんなのとてもムリとあきらめた。
(その後、『日本国語大辞典』は第2版が出版され、とうとう購入してしまったが)
彼は別段、能が趣味でも、能に詳しいわけでもなかったようだが、歴史に関しては卓越した知識と経験を持っていたから、あるとき、能の歴史的研究に興味を抱き、古書をひもといているうちに世阿弥の能楽論書を手に取り、これはおもしろいと校注したのが『風姿花伝』(いわゆる「花伝書」)などの『世阿弥十六部集』で、能楽研究の第一級資料として現在でも高く評価されている。
もちろん、吉田東伍の本業は歴史地名の探究であり、当時、日本にはまだ統一した地誌がないことに気づいた彼は、13年の歳月をかけて、独力で『大日本地名辞書』を完成させた。
文字数1200万字、辞書に引かれた項目は4万を超え、原稿の厚さは5メートルというから大変なものだ。
全巻が完成したとき、吉田東伍43歳。
文字数1200万字、辞書に引かれた項目は4万を超え、原稿の厚さは5メートルというから大変なものだ。
全巻が完成したとき、吉田東伍43歳。
きっと天賦の才があったのだろう。「学校は分かりきったことしか教えてくれない」と13歳で学校を中退するも、19歳のとき教員試験に合格して小学校教員となり、21歳のときには1年間志願兵となる。28歳で読売新聞に入社し、次々と評論を発表している。
博覧強記で、本を読むのが好きだったらしく、『大日本地名辞書』を完成させたあとは朝鮮半島に興味を持ち(もちろん関心は以前からあり論文も出している)、朝鮮に関する文献を書斎の本棚にぎっしり並べ、数千冊にも及んだという。
しかし、1918年(大正7)1月22日、利根川の河口を見渡せる千葉県銚子の旅館に1人泊まり、前夜2合の酒を飲み、翌朝、亡くなっていたという。享年53。
昔は“豪傑”が多かった。