何でも新国立劇場は今年開場15周年で、「新国立劇場・英国舞台芸術フェスティバル2012」というのを開催中であり、今回の芝居もその一環なのか、入口の天井には大きなユニオンジャックが写し出されていた。
今回の『リチャード三世』は、09年秋にやはり新国立劇場で上演された『ヘンリー六世』(昼ごろから夜まで、エンエン9時間の上演だった)の続編といえるもので、出演者も、リチャード三世に岡本、ヘンリー六世の妻・マーガレットに中嶋と、当時のままの配役。
今回の『リチャード三世』は、09年秋にやはり新国立劇場で上演された『ヘンリー六世』(昼ごろから夜まで、エンエン9時間の上演だった)の続編といえるもので、出演者も、リチャード三世に岡本、ヘンリー六世の妻・マーガレットに中嶋と、当時のままの配役。
舞台は、前回同様奥行きが深く、一面に赤い砂が敷きつめ詰められていて、小高い中央部分はは回り舞台になっていた。写真は会場に飾られていた模型。
ついでに『ヘンリー六世』のときの舞台の模型もあったのでご紹介。
席は『ヘンリー六世』のときは最前列の上手寄り、今回は前から5列目の真ん中。前回は俳優の顔と汗とつばきがよく見えたが、今回は舞台全体が俯瞰できてよかった。
ついでに『ヘンリー六世』のときの舞台の模型もあったのでご紹介。
席は『ヘンリー六世』のときは最前列の上手寄り、今回は前から5列目の真ん中。前回は俳優の顔と汗とつばきがよく見えたが、今回は舞台全体が俯瞰できてよかった。
10月3日が初日で、21日が千秋楽。きのうはちょうど脂が乗りきったところか。午後6時半から始まって終わったのが午後10時10分すぎ。時間の長さを感じさせず、見応えのある舞台だった。
シェークスピア劇の中でも「悪の権化」を描いた作品といえるのが今回の作品。
不具に生まれついた身を呪い、それならと悪に徹して人々を欺き、ついには王位にのぼりつめたのがリチャード三世。冒頭のセリフが物語のテーマを印象づける。
不具に生まれついた身を呪い、それならと悪に徹して人々を欺き、ついには王位にのぼりつめたのがリチャード三世。冒頭のセリフが物語のテーマを印象づける。
演出家の鵜山は「人間の心には善と悪の両極があって、ひとりの人間の中でも善と悪の振子が行ったり来たりする。そのうちの悪の部分を純粋培養すると、リチャードになるのではないか」といっているが、悪を憎みつつも、どこかそこに人間の本性が見え隠れするから、観る側も引き込まれてしまうのだろうか。
ただ、リチャード三世役の岡本はなかなかの熱演、好演だったが、本性が好青年なのだろう。悪に徹しきれていない感じがしたのはチョッピリ残念。どこか幼児っぽいところがあり、あえてそう演じたのだろうか。
ただ、リチャード三世役の岡本はなかなかの熱演、好演だったが、本性が好青年なのだろう。悪に徹しきれていない感じがしたのはチョッピリ残念。どこか幼児っぽいところがあり、あえてそう演じたのだろうか。
出色だったのはマーガレット役の中嶋。前作のマーガレットを観ているだけに、彼女の悲劇性がよけいに浮かび上がってくる。言葉もはっきりして聞きやすいし、彼女のセリフに涙する場面もあった。
シェークスピア劇では、どれをとっても珠玉のセリフの数々に魅了されるが、本筋とはちょっとはずれたところのモノローグも楽しいものがある。
リチャード三世の命を受け、幼い王子たちをロンドン塔で殺害する役のモノローグがよかった。調べたら役者は小長谷勝彦という人で、前回の『ヘンリー六世』でも、父親を殺した息子の役などをやっていた。
リチャード三世の命を受け、幼い王子たちをロンドン塔で殺害する役のモノローグがよかった。調べたら役者は小長谷勝彦という人で、前回の『ヘンリー六世』でも、父親を殺した息子の役などをやっていた。
今回の芝居は、歴史劇でありながら決して男中心にはならず、女性が多く登場して、女性だけの場面も少なくなかった。歴史とは男だけがあやなすのではなく、女も加わっていることをシェークスピアは知っていたのだろう。歴史とは、女にとっての悲劇の物語でもあるのだ。たしか、『ヘンリー六世』を書いたときシェークスピアは26歳で、『リチャード三世』を書いたのは28歳のときといわれるから、やはり彼は天才だ。
余談になるが、「背中に大きなコブを背負って不格好に脚をひきずり、その姿を見れば犬も吠えかかるほどの醜男」といわれるリチャード三世の姿は、シェークスピアの創作といわれたものだったが、奇しくも今年9月、イギリス中部のレスター市中心部にある駐車場から、リチャード三世の可能性がある遺骨が発見され、話題になっている。見つかった遺骨は背中が大きくゆがんでいたという。12月ごろ鑑定の結果がわかるということだが、果たして史実はどうなのか?