善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

南伸坊 本人伝説

南伸坊『本人伝説』(文藝春秋)を読む、というか見る、というか眺める、というか・・・。
政界から芸能界から、有名人になりきって写真で登場するとともに、文章までが本人が書いたかのごとくコメントしている。

「まえがき」で筆者は言う。
17年間姿をくらましていたオウム事件の逃亡犯がまるで「別人」の顔で逮捕された。われわれにとっては交番の掲示板や銭湯に張り出された手配書の「あの顔」こそが本人と思っていたのに、「別人」になったあの顔を見てひどく驚いた。
いったい「本人」とは何だろうか?

それで題名が「本人伝説」となったのだろうが、本人になりすます“本人術”は昔から南氏のお家芸で、本書に載っているのは2007年から12年までの「オール讀物」などに掲載された作品の数々。

たしかに、別人(つまり南氏)が本人になったら、それだけでなく別人が本人の口調をまねて本人が言うだろうことを勝手にまくしたてたら、本人の言うことと別人の言うことの、どっちを信じたらいいのか?と思いたくなるかもしれない。
いや、本人以上に別人のほうが本人っぽかったら、本人が知らない本人らしさ(いい意味、悪い意味も含めて)が、そこからにじみ出てくるかもしれない。

同じように「本人になりきる」芸術家として森村泰昌氏がいるが、あちらは芸術なのに対して、こちらの南氏はどちらかというとおふざけっぽい。そこがまた安心できるところでもある。

ちなみに、南伸坊氏が本書で「本人」になったのは以下の74人。カンドーするほど似ている人もいれば、それほどもない人もいるが、“本人の弁”はどれも秀逸。

ついでにいえば「あとがき」に本人術の心得が伝授されていて、「顔をキャンバスに似顔絵を描く」のが本人術の要諦だそうだ。
写真撮影の照明器具も卓上スタンド1本で、“安易”な作り方のほうがケッサクは生まれるのではないか。カメラマンは奥さんの南文子さん。
もともとはカラーかもしれないが、本書はすべてモノクロ写真で、これも成功している理由に思える。


おまけで北一輝呉智英