善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

五箇山 白川郷 冬の旅(後編)

五箇山(富山)・白川郷(岐阜)の旅の続き。
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話はチョイと横道にそれるが、富山でテレビのNHKニュースを見ていたらローカルニュースのアナウンサーが中條誠子サンだったのにびっくり。
元日のウィーンフィルニューイヤーコンサートの司会をしていたばかり。その前は「日曜美術館」も担当していた。やさしい語り口にファンになっていたが、いつの間に富山に異動になったのだろうか?
地方に行くとこんな“発見”もある。

それはともかく、五箇山の「民宿・与茂四郎」に泊まった夜は囲炉裏を囲みながらの食事。
客は3組で(この宿の定員は4組まで)、囲炉裏の火で1時間以上かけて焼き上げたイワナの塩焼き、コイの洗い、山菜の天ぷらや煮しめ、おひたしなどに舌鼓を打つ。
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酒は地元の「三笑楽」。
ちなみに宿代は1泊2食つき8400円、酒は1合400円。

宴のあとは宿のご主人が「こきりこ節」で使うこきりことササラの実演をしてくれた。
「こきりこ節」は日本最古の民謡という。
大化の改新のとき、山伏が五穀豊穣のため経を読んだのが訛ったものとされるが、五箇山白山信仰の影響を受けているから、もともとは白山宮での行事でうたい踊ったものかもしれない。
こきりこは「筑子」「小切子」などの字が当てられる2本の細い竹で作った素朴な楽器のこと。手首を回転させながら打ち鳴らすことで音を出す。また、ササラは竹の板を束ねて半円に構えて波打たせて鳴らす楽器。

「窓のサンサはデデレコデン」という囃子ことばにあるように、ササラは不要になった窓の桟を廃品利用して作ったものだそうで、108枚の竹の板をひもでつなげたもの。108とは仏教で言う煩悩の数。昔は神仏習合(混交)といって、土着の信仰と仏教信仰とを折衷して1つの信仰体系として習合されていたから、神さまを祀る白山宮で山伏がササラを使って煩悩を除こうとしたのも不思議ではない。

実際、五箇山にある白山宮は主祭神は「菊理媛命(くくりひめのみこと)」だが、現在も十一面観世音菩薩像が本尊(本地仏)として祀られ、秘仏として33年ごとに御開帳が行われているという。

明治のはじめ、神仏分離廃仏毀釈によって神道が国教化していく中で、ここ五箇山では宗教の本来の姿が残されてきたようだ。人びとの宗教心の深さのおかげか、山間の峡という人里から隔絶された場所ゆえに単に忘れられていたからか。
合掌造りの建物が残ったのとも共通するものがありそうだ。
「デデレコデン」は太鼓の音。

歌詞にもこきりこの由来が表現されていて、「こきりこの竹は七寸五分じゃ 長いは袖のカナカイじゃ」とあるのは「こきりこの竹の長さは7寸5分(23㎝)だよ。それより長いと袖に引っかかってじゃまになる」とうたっている。なかなか正直な歌だ。

外に出てみると、見事な満月と星空。
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[3日目]
翌日は朝から雪。降りしきる雪の中を歩くのがまたいいんだな。サラサラ雪だから傘はいらない。
この日、雪は降ったりやんだりだったが、風がないのですごしやすい。

朝9時23分発の路線バスで白川郷へ。50分ほど乗って白川郷着は10時すぎ。
バスはガラガラで貸し切り状態。運転手さんとの会話も楽しい。

五箇山では人はそれほど見なかったが、一転して白川郷は観光客がいっぱい。知名度の違いか。マイカーでやってきた人も多く、関西ナンバーが目立つ。観光バスも多い。中国からの団体さんらしいのも見かけた。意外と若い人たちのグループが目についた。
雪が降っていてこれだけにぎわっているんだから、夏場はもっと人が多いだろう。
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国の重文指定を受けた「和田家」や「明善寺郷土館」「合掌造り民家園」などをめぐり、15時35分発の高速バスで名古屋へ。名古屋着は18時半ごろ。
駅ビル地下1階にある「山本屋」で味噌煮込みうどん。このうどんの食感が何ともいえない味わい。麺類でカルチャーショックを受けたのは、ここのうどんと沖縄の首里ソバ。
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新幹線のぞみで東京着は21時半ごろ。かくて冬の駆け足旅はおわりにけり。