善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

長谷川等伯物語 第7回 佳境

---
ハセトー物語もいよいよ佳境へ。
きのうの続きは今日の続き、第7回。

1599年、等伯60歳のときに描いた「仏涅槃図」も必見です。
息子の久蔵の7回忌に描いたもので、表装も含めると高さ10mの超大作。
見るときは首が疲れそうです。
前年の98年、秀吉が63歳で亡くなり、時代は風雲急を告げているときです。
釈迦の入滅を描き、周囲には弟子だけでなく、
動物までが嘆き悲しんでいる様子が描かれています。
動物の中には犬も描かれていますが、
日本の犬ではなく、洋犬で、コリー犬との説もあります。
等伯はその犬を、自由都市・堺で見たのではないでしょうか。
ところで、等伯の特徴のひとつとして「動物の描き方」があげられています。
その眼差しのやさしさ。それが狩野永徳との一番の違いだ、との説もあるほどです。
晩年の作品といわれる「枯木猿猴図」に描かれる猿など愛嬌タップリです。
(この絵は中国の牧谿の影響を受けつつ独自の感性で表現しています)
ほかにも等伯画には動物がたくさん出てきます。
じっくりと見ることにしましょう。
仏涅槃図の裏側には久蔵だけでなく、祖父母や養父母など、等伯一族の名が記されて
います。
注目すべきは、この絵には「雪舟五代」と書き込まれていることでしょう。
秀吉の死後、徳川時代の到来を予感したのか、
雪舟より5代目だと自負することで、家康に自分をアピールしているのでしょうか。
完成時、この絵は宮中で披露されたのち、日蓮宗の本山、京都・本法寺におさめられ
ました。
この絵の完成から5年後の1604年(関ヶ原の戦いの4年後)、
等伯は「法橋」の位につき、翌年、画家の最高位「法眼」になります。
そして1610年、72歳の等伯は天下人・家康の御用絵師になるため、
江戸へと下っていくのですが・・・。